かんがえる
さびしさの運用について
"さみしい"って思うことは必ずしも人にはあって、
それは恋愛的な感覚(性的な意味も含めて)であったり、
自分の存在意義(個人的にはDJとしての立ち位置的なこと)であったり、
やはり友人関係(自分のいないところで楽しいことするなよ、みたいな)であったり、
そういうことかと思ってた。
さびしさは、優しさを指向する引力で、それ以上でもそれ以下でもない。
うわー!なるほど!
むずかしく考えるからさみしさループにハマってしまって抜け出せなくなるってのはわかってるんだけども、
わたしはこれからもきっとさびしい。
でもそれでいい。
この言葉になんか救われた気がします。
さみしいからこそ人とつながっている
ってことよね。きっと。