人間の生活は不便であるべき、という理想

バウハウス展にメガネ装着で行ってきた。
バウハウスについてはこちらを


えーっとですね。
自分は大学の時に「工業政策」っていうゼミにいました(学部は政治経済)。
で、
工業制手工業(マニュファクチャね)ってのがはじまって、
それがハッテンしてコンビナートっていう流れ作業〜大量生産の極端な形ができあがった…と。
元々職人さんが手作業で作っていた(家内制手工業)ものが、
分業化され、
次第に機械化〜オートメーション化されていった…って流れはなんとなくわかると思います。
職人さんが作ったものは製品ではなく作品に近いもの。
機械で複製して(労働者がスイッチを押して)出来たものは単なる製品でしかない。
自分の身の回りにあるものは作品ですか?製品ですか?
いま多く産みだされているものはどちらですか?
(はては極端なコンビナート的生活スタイルみたいなのがあって…っていう生活論にまで至る)
そんなことをぎゃーぎゃー論じあうゼミでした。


で、バウハウス
これも「職人さんの作品」を評価する一方で、
合理的にモノを作ること(もちろんコストとか)、
および生活にマッチするような機能美を求める(生活デザインとか)。
っていう両極端な流れがあったのがバウハウスなのでは?っていう感想。
(初期は職人的、後期は合理的って考えだったらしい)
身の回りのものすべて(建築、家具、雑貨、都市)が機能的であるべき、という授業って
すごいやっていておもしろいだろうし、
それがいまでも実際に溶け込んでいるのはすげーな、って思ったりもしました。


ずーっと頭の中にあったことを、
こういうデザイン教育の方面から見ることが出来てとても有意義だったデス
(たぶん自分は精神論的な観点側から)。
オススメだ!今度の月曜日までですけども、お近くの方は是非に。