魔法ならつかえる

人間はロボットやそういうものではないので、
きっちり数値でわりきって理解したりコントロールできるものではない。
ただし、人間は勘違い(激しい思い込み)のできるものである。
の、で。


集中力の話。
昔(学生の頃の話)、勉強するときには音楽を聴きながらでないと集中できないでいた。
歌詞があるとそれを追ってしまうので、(環境音楽にちかい)ミニマル音楽を聞いていた(ライヒとか。イーノとかもまあ)(それは後のクラブ活動につながるけれどもまた別のお話)。
所謂「ながら勉強」ってやつ。


「そんなやりかたじゃ逆に集中できないよ?」と当時の師匠(現在東京地検特捜部に所属(しているらしい。ググったらそうだった))から言われていたりしたけども、自分なりに解釈して納得していた(自分にそう言い聞かせて、理解していたつもり)。


頭の中に思考回路が3つぐらいあって(マルチタスク)。
回路1→勉強
回路2→遊びたい(有害)
回路3→いやらしいこと(有害)
であると3分の2は有害なことに使用しているので集中してない。
そこで、
回路1→勉強
回路2→音楽(無害)
回路3→いやらしいこと(有害)
にすれば、3分の1に害が減る。
ほら!さっきよりは集中してるじゃん!?っていうご都合主義にのっとってじぶんすげー!って。
(よく考えたら勉強の部分が3分の1のままであることはこの際、計算しちゃダメ)


で、もちゃけがでた話に戻りますが(戻る?)、
頭の中に「さみしい」やら「かなしい」やら「つらい」やらまあもやもやしたことがあって(胸が痛い。胸が痛い。切なすぎて、うずくまる(「胸が痛い/憂歌団」より))、
そういうことを考えるのに回路のヒトツをつかっているのであれば、
残りの回路を別のことに向けて(ちょっとしたたのしいことに)、つらさから目を背けることが可能なんじゃないの?って。
だからぼくはうたうんだよ、精一杯でかい声で(アタマに浮かんだのでついうっかり書いた)。


とりあえず言いたいのはー
思い出とか想いとか気持ちとかそういうのはいつまでも決して消えなくて、
ときたま、些細なことでぐさーっと胸に刺さったりするよね。
ってこと。
逃げたいけど、逃げられないことってある(多くは自業自得、ってハナシ)。